グリとヒスイの二毛作

お疲れアラサー「グリ」と美少女「ヒスイ」の妄想漫談録

「アンビシャス」奇跡のボールパーク誕生物語の裏にある生存者バイアス

この奇跡は必然か、偶然か

グリ:今年3月に開業した日ハムの新本拠地「エスコンフィールド」の誕生秘話『アンビシャス―北海道にボールパークを創った男たち』を読んだので、雑感をば。

ヒスイ:Fビレッジができた北広島市は人やビジネスがどんどん集まって、飛ぶ鳥落とす勢いですね。本書にもある通り、日ハム移転前は全国的にほぼ無名だったことを考えると、劇的な変化です。

グリ:ただ、北広島市という人口6万に満たない自治体に、200万都市の札幌からプロ野球の本拠地を移す過程は、まさに針の穴に糸を通すギリギリの戦いだった。数多の思惑や幸運が絶妙に嚙み合って、この奇跡を実現させた。Fビレッジの誕生は、スポーツビジネスや地方創生の教科書に載り、今後何年にもわたって参照され続けるだろう。ただ、その一方で、私は本件を再現可能な成功事例として語ることには、慎重になるべきだと思う。

ヒスイ:それはまた、どうしてですか?

グリ:これからボールパーク構想を実現させた要素をざっと概観するけど、個人的に最大の成功要因だと考えている最後の点は、ある個人の強烈な個性に依存している。その意味で、本書で描かれた成功物語の裏には、強力な生存者バイアスが潜んでいると思うんだ。

ビジョナリー前沢賢と理解者たち

グリ:総工費537億円を費やして建設された札幌ドームへの移転から、わずか十数年後の、総工費600億円規模の新スタジアムへの引越し決定。これは当然、決して平坦な道のりではない。ボールパーク計画の発案者であるファイターズ事業統括本部の前沢賢は、当初構想の必要性が日ハム本社に受け容れられず、一度はファイターズを去っている。前沢の実力を見抜いていた球団オーナー大社に呼び戻されなければ、ボールパークはこの世に存在しなかったかもしれない。

ヒスイ:大社さんをはじめ、前沢さんの女房役の三谷仁志 事業統括本部副部長など、球団によき理解者・伴走者がいたからこそ、大胆な構想を形にできたんですね。

グリ:球団には、札幌ドームの所有者である札幌市の他にも、ボールパーク事業への大規模投資に懐疑的な日ハム本社という交渉相手がいた。政令指定都市クラスの行政機関と、球団の所有者たる大資本という巨大な壁を乗り越えるには、緊密なチームワークの下で長期間の粘り強い折衝が必要だった。その意味で、前沢は日ハム内に心強い同志を持てた点で幸運だったんだろう。

連鎖した好機

ヒスイ:前沢さんと日ハム球団は、粘り強い努力のみならず、幸運の尻尾を掴む抜け目のなさにおいても突出していました。

グリ:①北広島市役所の中枢に、川村裕樹企画財政部長を中心としたチャレンジ精神あふれるメンバーが揃っていたこと、②長年棚上げされていた北広島市の運動公園整備計画が、ファイターズの求める立地や拡張性をちょうど満たしていたこと、③東京オリンピックが近づく中で、日ハム本社内でもスポーツビジネスに本腰を入れる機運が生まれたこと、そして、④札幌市の誘致計画が様々な利害関係に絡め取られて思うように進まなかったことすら、北広島のボールパーク建設案というダークホースの追い風となった。

ヒスイ:これが、グリのいう模倣できない独自要因ですか?

グリ:そういう見方もできる。でも、「幸運は用意された心のみに宿る」という言葉の通り、前沢たちは数々の偶然を自分たちにとって有利な方向に作用させたと捉えることもできる。明確なビジョンと、ぶれない忍耐があったからこそ、球団は逆風の中で全てのラッキーアイテムを活かしきることができた。

アンビション交渉術の定石を度外視した、前沢賢の究極のわがまま

ヒスイ:そうすると、やっぱりFビレッジ誕生は後進に希望を与える好例に見えてきます。

グリ:そう、だからこれは飽くまで逆張り的見解なんだけど、この奇跡的な移転劇は、前沢賢という男の尋常ならざる執念がなくても成立し得ただろうか?

ヒスイ:というと?

グリ:構想当初から前沢が日ハム本社に提示し続けた条件をまとめると、

①借家ではなく自社所有の、

②新造スタジアムを核とする「街」であるスポーツコミュニティを、

③中長期目標ではなく、短期の具体的なタイムスパンで実際に建設する

というものだった。もしヒスイさんが当時のファイターズ事業統括本部にいたら、前沢さんに何と言う?

ヒスイ:まあ、常識的には3つの条件すべてを即要求するんじゃなくて、球団にとって一番重要な条件から優先順位をつけて、いざとなったら相手に切れるカードを用意して交渉に望むことを推奨しますね。

グリ:そう。交渉術において「すべてを、今すぐ欲しい」は超危険な一手だ。最悪、交渉相手がそのまま離席して決裂してしまうリスクもある。相手の事情を斟酌し、お互いに譲れないギリギリの線を見極めながら、最大限の利得を追求していくのが本来のネゴシエーションのはず。しかし、前沢はこのセオリーを一切無視した

ヒスイ:日ハム本社、札幌市、北広島市のいずれの相手にも、終始一貫して①~③のフルラインナップを突き付けていましたね。しかも、本社・自治体から見て相対的に弱い立場に映る球団側が、異常な執念でこの移転劇の主導権を握り続けた。

グリ:多くの野球ファンの琴線に触れ、なおかつ巨大な初期投資を必要とする経営判断において、自分より強い立場の相手に対して要求事項すべてを猪突猛進で突っ張り続けることは、まず普通の人間にはできないし、一般論としてするべきではない。

ヒスイ:一歩間違えれば、末期の日本軍のように引き際が分からなくなって組織ごと壊滅しますからね。莫大な建設費用を正当化するボールパーク事業の費用対効果、受け容れ側の北広島市の政治的コミットメント、札幌市外の本拠地に地元のファンがこれまで通りの理解を示すか、、考えてみれば、奈落への落とし穴があちこちに大きな口を開けていたんですね。

グリ:「アンビシャス」は、著者の綿密な取材に裏打ちされた鮮やかな人間模様の描写によって、爽快なサクセスストーリーに仕上がっている。けれど、見方を変えれば、これは破滅と隣合せでわがままを通し続けた男の、一世一代の大博打の物語でもある。

ヒスイ:誰もが真似できるものではないし、すべきでもない。グリの言いたい事が、少し分かりました。では、今日はこの辺で。